第一章:幼少期【静かなる誕生と秘めた素質】
競馬の世界には、突然変異のようなスーパーホースが生まれることがあるんだよね。
でも、ジェンティルドンナは「突然変異」なんかじゃなくて、生まれながらにして「強くなるべくして強くなった馬」だったんだ。
彼女が生まれたのは2009年2月20日、北海道のノーザンファーム。お父さんは日本競馬史上屈指の名馬ディープインパクト、お母さんはイギリスの名スプリンター、ドナブリーニ。血統だけ見れば、競馬界のサラブレッド界における「ロイヤルファミリー」だった。
でも、幼少期のジェンティルドンナは目立つ存在ではなかったみたい。牧場のスタッフは「ごく普通の馬」という印象を持っていたらしいし、特別な注目を集めるような体つきでもなかったんだって。
ところが、育つにつれて彼女の資質が見えてきた。
・心肺機能が異様に高い
・柔軟性に優れた馬体
・競走馬としてのセンス
そしてもうひとつ。
ジェンティルドンナは、人懐っこかった。

人懐っこい?



そうだ。かなりやんちゃな性格だったらしいが、人懐っこい一面もあったそうだぞ。



お嬢様っぽい名前なのに……めっちゃ気が強いんだね。



人から愛される素質があったのかもしれないな。
これから、ジェンティルドンナの競走生活は始まる。
「特別じゃない」と言われていた牝馬が、やがて競馬界の歴史を塗り替えていくんだ――。
第二章:父・ディープインパクト【伝説の血が導いたもの】
ジェンティルドンナの強さを語るうえで、やっぱり外せないのはお父さんのことだよね。
ディープインパクト。
競馬を知らない人でも、一度は名前を聞いたことがあるんじゃないかな?
日本競馬史上、最も美しく、最も華麗で、そして最も「強い」と言われた馬。
2005年、無敗の三冠を達成し、翌年のジャパンカップでは日本競馬史に残る伝説的な末脚を見せた。まるで「空を飛んでいるような走り」だったんだ。
そして、ディープインパクトは種牡馬としても大成功を収める。
でもね……種牡馬としてのディープインパクトには、一つの「課題」があったんだ。
それは、「気性の難しさ」。
彼の産駒は総じて「折り合い」が難しい馬が多いと言われていた。競走中にカッとなったり、逆に気持ちが途切れてしまったりすることがあったんだよ。
ジェンティルドンナは、その「ディープ産駒の特徴」を――完全に克服していた。
いや、それどころか、彼女は「ディープインパクトの進化系」だったんだ。



つまり、ディープインパクトの血統の”いいとこ取り”をした感じ?



そういうことだ。ジェンティルドンナはディープ産駒らしい瞬発力を持ちながら、気性の難しさがなかった。



最強じゃん



最強だったな。ただ、気性が良すぎて、たまにズブさ(反応の鈍さ)を見せることはあったが……



えっ、そんなことあるの?



それが後々、ある名レースの伏線になっていくんだ。
そう、ジェンティルドンナには、ディープインパクトの遺伝子を超えた「何か」があったんだ。
この牝馬は、単なるディープ産駒の成功例ではなく、「競馬の進化」そのものだったのかもしれないね。
第三章:母・ドナブリーニ【受け継がれた闘争心とスピード】
ジェンティルドンナのお父さんは、あのディープインパクト。
これは誰もが知っている話だけど、お母さんについてはどうだろう?
実はジェンティルドンナの強さには、お母さん――ドナブリーニの血が、かなり大きく影響していたんだ。
ドナブリーニはイギリス生まれのスプリンター。2歳の頃にGⅠチェヴァリーパークステークスを勝ち、イギリスのトップクラスの牝馬として活躍したんだ。
でも、現役時代のピークはそこまでだった。3歳になると成績が低迷し、通算11戦4勝で早めに引退。
そして、日本へやってきた。
当時、彼女は「1億2,000万円」という超高額でノーザンファームに購入されたんだけど……正直、買った側のノーザンも「ギャンブル」だったらしいよ。
スプリンターの母馬から大物が出る保証なんてないし、日本の競馬に適応できるかどうかも未知数だったからね。
でも、このギャンブルは――とんでもない大当たりだったんだ。



でも、お母さんはスプリンターでしょ? なんでジェンティルドンナは長距離も走れたの?



それが”血の妙”というやつだな。お父さんのディープインパクトがスタミナを補い、お母さんのドナブリーニがスピードを強化した。結果として、ジェンティルドンナは”万能型”になったんだ。
ディープインパクトの「スタミナ」とドナブリーニの「スピード」。
この二つが完璧に融合した結果、生まれたのがジェンティルドンナだった。
これはもう――競馬の奇跡としか言いようがないね。
そして、この奇跡の牝馬が、競馬の歴史を塗り替える旅に出ることになるんだ。
第四章:伝説の幕開け【デビューから三冠達成まで】
2011年11月。
ジェンティルドンナは、京都競馬場の芝1600mでデビューした。
でもね……デビュー戦は「2着」だったんだよ。
期待されていたとはいえ、不良馬場の影響もあって、本来の力を出し切れなかったらしい。
普通なら「まあ、まだ1戦目だしね」ってなるところ……この馬は答えた。
2戦目、阪神の未勝利戦で、3馬身半差の圧勝。
そして、そこから怒涛の快進撃が始まる。
・シンザン記念(牡馬混合重賞)を勝利
・桜花賞で最速の末脚を使い、クラシック一冠目を獲得
・オークスでは「距離不安」と言われながらも、5馬身差の圧勝
そして、迎えた秋華賞。
ジェンティルドンナは、史上4頭目の牝馬三冠を達成するため、ヴィルシーナとの壮絶な叩き合いに挑むことになる――。



オークスの”5馬身差”って、ヤバくない?



ヤバいな。オークスは初の2400mだったし、母親がスプリンターだったこともあって”距離不安”が囁かれていたが……全くの杞憂だった。



余裕で勝ったんだね。



いや、余裕というより”歴史的な勝利”だ。レースレコードを1.7秒も更新したし、2着馬ヴィルシーナの騎手・内田博幸が”強すぎる……”って語ったほどだぞ。



えぇ……強すぎる……



でも、秋華賞はそんなに簡単じゃなかった。



えっ、なんで?



ジェンティルドンナは、“勝ちすぎる”ことで、ある弱点を露呈し始めたんだ。
三冠牝馬となるか――それとも敗れるのか。
この運命の一戦が、競馬史に残る「伝説の一戦」になろうとは、この時まだ誰も知らなかった……。
後編へ続く→ジェンティルドンナ物語【後編】
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