タマモクロス伝説【芦毛が輝いた伝説の時代】

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目次

第1章 運命の出会い

アワアワ

伝説の名馬について教えて!

デク

ふむ、今日はどの馬の話が聞きたいんだ?

アワアワ

タマモクロスについて!芦毛の名馬って言えば、オグリキャップとセットで語られることが多いけど…本当のところ、どんな馬だったのか知りたいんだ!

デク

いいチョイスだな。タマモクロスは1988年の競馬界を席巻した名馬で、オグリキャップと並ぶ“芦毛ブーム”の立役者の一頭だ。父・シービークロスと同じく『白い稲妻』と呼ばれた馬たぞ。

アワアワ

白い稲妻!カッコいい!

デク

タマモクロスの物語は、決して華やかなものではなかった。生まれたときは細身で頼りなく、食も細い。牧場の誰もが、大成するとは思っていなかったんだ。

アワアワ

えっ…そんな馬がどうやって伝説になったの?

第2章 挫折の4歳(1987年)

当歳時のタマモクロスは「ニシキノクロス」と呼ばれていた。
その馬体はまるで牝馬のように華奢で、食も細く、期待されるような存在ではなかった。

しかし、栗東・小原伊佐美厩舎に入厩すると、ある男が彼を見出すことになる。
南井克巳、後にタマモクロスと運命を共にするジョッキーだ。

デビュー戦は阪神競馬場・芝2000m。2番人気に支持されたが、結果は7着惨敗。
ダート戦に転向するも、勝ちきれず苦戦が続く。

極めつけは落馬事故。
レース中に前の馬が落馬し、巻き込まれたタマモクロスも落馬。
乗り手を失った彼はコースを1周暴走し、全身に打撲を負った。

以降、馬運車を見るだけで怯え、競馬場に行くことすら嫌がるようになった。
「このままでは競走馬として終わる」
厩舎は芝へ再転向し、最後のチャンスを与えることにした。

そして――タマモクロスは変わった。

第3章 怪物の目覚め(1987年 秋)

アワアワ

芝に戻った途端に覚醒した…ってこと?

デク

その通りだ。芝2200m戦で復帰すると、まるで別馬のように強くなっていた。

そのレースでタマモクロスは、5番人気ながら、最後の直線で独走状態に突入。
南井が手綱を動かすことなく、7馬身差の圧勝を飾った。

続くレースも8馬身差勝ち。
すると、関西の競馬メディアは彼を「関西の秘密兵器」と呼ぶようになった。

さらに、年末の鳴尾記念(GII)で重賞初挑戦。
最終コーナーでは9番手。それが、直線で馬群をこじ開けて突き抜けると、2着馬に6馬身差をつけてゴールした。
しかも、コースレコード付きである。

ここに、「白い稲妻」が誕生した。

第4章 GI3連勝!最強馬への道(1988年)

アワアワ

すげえええ!これが伝説の始まりか!

デク

そうだ。そして、翌1988年――タマモクロスは完全に覚醒する。

年明け初戦の金杯(西)。
最後方からの競馬だったが、最終コーナーで馬群を縫うようにして伸び、直線で15頭をごぼう抜きして勝利!

その勢いのまま、阪神大賞典を勝利し、迎えた天皇賞(春)。
GI初挑戦にもかかわらず、メジロデュレンやゴールドシチーを抑えて堂々の1番人気。

レースは、向こう正面で外から進出し、最終コーナーで5番手。
直線に入ると、タマモクロスは馬群の内を突いて突き抜け、
2着ランニングフリーに3馬身差をつけて完勝!

これが「白い稲妻」の本領発揮だった。

続く宝塚記念(GI)では、安田記念勝ち馬ニッポーテイオーとの対決。
直線で並ぶ間もなくかわし、2馬身半差の圧勝であった。

第5章 宿命の芦毛対決(1988年 天皇賞・秋)

アワアワ

いよいよ来た…オグリキャップとの対決!

デク

1988年の天皇賞(秋)。それは、日本競馬史に刻まれる『芦毛対決』だった。

タマモクロスは8連勝で挑む。
対するオグリキャップは、地方から中央に移籍し6連勝。
東京競馬場には12万人を超える大観衆が詰めかけた。

レースが始まると、タマモクロスはまさかの先行策。
逃げ馬の後ろ、2番手につける積極的な競馬を見せる。

「オグリキャップが来る!」
残り200m、タマモクロスの後ろからオグリキャップが迫る。
南井はタマモクロスにムチを入れる。

タマモクロスは、一瞬で突き放した。

ゴール板を過ぎたとき、そこには1馬身1/4の差があった。
芦毛の怪物2頭がぶつかり合った歴史的レースは、タマモクロスの勝利で幕を閉じた。

最終章 有馬記念、宿命の決着

1988年の有馬記念。
タマモクロスにとって、これが最後の戦いだった。

前哨戦は使わず、直行で有馬記念へ向かったタマモクロス。
だが、この時点で状態は万全ではなかった。

美浦トレセンの水が合わず、食事の量が減少。
もともと食の細い馬だったが、今回ばかりは調整に苦しんだ。

スタッフはミネラルウォーターを大量に買い込み、何とか食べさせようとした。
精力剤まで与え、何とかレースに間に合わせた。

迎えた12月25日――有馬記念当日。
単勝オッズは2.4倍の1番人気。
対するライバル、オグリキャップは3.7倍の2番人気。
ファン投票でも18万票を集め、堂々のトップで出走。

そして、タマモクロスはゲートインした。
だが――

アワアワ

出遅れた!?

デク

そうだ。タマモクロスはゲートの出が悪く、最後方からのスタートになった。

レースが始まると、岡部幸雄に乗り替わったオグリキャップは好スタートを切り、好位につけた。
一方、タマモクロスは最後方からの競馬を強いられる。

しかし、道中で異変が起きた。

タマモクロスが、折り合いを欠き始めたのだ。
「早く前に行きたい」とばかりに、口を割りながら進みたがる。
それを抑える南井。だが、タマモクロスは我慢しきれず、コーナーで大きく外を回ることになった。

無駄な距離を走りながら、タマモクロスは最後の直線に入る。

アワアワ

ここで、オグリキャップと並ぶ!?

デク

ああ。タマモクロスは第3コーナーから大外をまくり、オグリキャップと並ぶんだ。

最終直線――
「芦毛2頭のデッドヒート」

競馬場全体が歓声に包まれる。

タマモクロス、オグリキャップ、2頭の芦毛が叩き合う。
まさに1988年を象徴する戦い。

だが、最後の最後で、オグリキャップが内から抜け出す。

タマモクロスは半馬身及ばず、2着。

アワアワ

あああ……ついに負けちゃったのか……

デク

これがラストランだった。南井は『いつものタマモクロスじゃなかった』と振り返っている。調子が万全だったら、また違う結果になっていたかもしれないな。

しかし――この有馬記念をもって、タマモクロスは年度代表馬に選ばれた。

そして、1989年1月15日、京都競馬場でタマモクロスの引退式が行われた。
彼の名が競馬史に刻まれた瞬間だった。

白い稲妻の伝説

タマモクロス――
その名は1988年の競馬を象徴する存在だった。

「白い稲妻」
「関西の秘密兵器」
「オグリキャップの最大のライバル」

タマモクロスは、確かに競馬史に名を刻んだ。

有馬記念でオグリキャップに敗れたものの、
その強さ、戦い抜いた姿は、今なお語り継がれている。

そして彼のラストランは、競馬ファンにとって一生忘れられないドラマとなったのだった。

↓ライバル「オグリキャップ」を知る記事はこちら!

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