ギャンブルに費やす時間がまるっと不要になってしまった。最近は予想も馬券もほとんど時間をかけるが無くなっていたけど、少なからず時間はかかっていた。また、いくら時間がかからないとはいえ、僕の買い方ではレース前には一度オッズをチェックする必要があったから、意識をするためのコストがかかる。それが丸っと必要なくなったのだから、時間が余ってしまった。
生きていて時間が余るということはなく、暇している時間こそ無いはずなんだけど。人生限られた時間、時間を大切に使いたいと思うようになった。
そもそも、競馬予想ってなんともコスパが悪い行為だと思わざるを得ない。だから僕は予想する事なく、利益を得られる方法を模索するようになったんだけど。
結局は運に左右されるのが競馬だから、いくら強度のある購入法則だったとしても、いつかは破綻してしまうわけだ。とほほ。
そもそも競馬の予想をして、勝っている人がどれくらいの割合いるのか?という問題にぶち当たる。全レースをたくさんの要素で分析する競馬AIでさえも、全てのAIが勝っているとも限らないのに人間が分析できるレベルでどこまで勝率を上げられるのか。
多分勝っている人は一定数いるんだけど、それは小さな利益の積み重ねではなくて、ドカンと大穴を当てられた人。つまりラッキーな人のはず。
結局は運がいい人が勝つわけであって、馬券や予想が上手い人が勝っているわけじゃない。たまたま買った馬券が当たったにすぎない。
なんだか卑屈な記事になってしまったけど、頭が冷えて冷静に考えるとそうとしか考えられなくなった。僕はなんて難しい取り組みをしていたのかと。
まあ個人的な感想だし、現実にはメチャクチャ上手くて馬券で生活してる人もいるかもしれない。SNSでもたまに観測されるしね。でも、少なくとも、現実には見た事がない。シュレーディンガーの猫である。
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